除霊や浄霊ができる恐山のイタコ

イタコ、その存在

イタコとは昔から東北地方などで、口寄せを行う巫女のことです。口寄せとは亡くなった家族などの霊をイタコが自分のなかに乗り移らせて、その霊がイタコの口を通じて語ることです。イタコの多くは生まれながら目が見えなかったり目に障害がある女性で、生活のために口寄せを行う巫女として修行を行います。つまりイタコとは先天的もしくは、後天的に目が見えないか弱視の女性のための職業なのです。しかし現代では厳しい修行が求められるイタコになろうとする女性は極めて少なく、そのためいま現在残っているイタコのほとんどが高齢者です。そのため青森県の津軽陸奥のイタコと秋田県の羽後のイタコは、それぞれ国の選択無形民俗文化財になっています。

イタコの口寄せ

イタコの能力はその特性上、霊との関わりが大きくなります。霊に触れたり取り込んだりすることから、除霊や浄霊の能力が高いのは当たり前となっています。さて、イタコと言えば亡くなった肉親や先祖の霊など、死者の霊を降霊する口寄せの姿がテレビなどでも紹介されとても印象的です。しかしイタコにはこの口寄せの他にも、神降ろしと呼ばれる占いや予言なども行っています。イタコが行う占いはふつう数珠やイラタカを使いますが、なかには神降ろしに楽器を使うイタコもいます。その場合は梓弓(あずさゆみ)と呼ばれる弓状の楽器が多く、その他にも倭琴(やまとごと)や太鼓などが使われます。イタコに限らず世界には昔からシャーマンと呼ばれる巫師や祈祷師が存在しますが、イタコもシャーマンの一種と言ってもいいと思います。シャーマンも霊との交信だけでなく、神霊や精霊との交信で地元の住民の悩み事の解決の手助けをしてきました。実はイタコにも神霊や精霊との交信で、恋愛などの悩み事やどうして自分では解決できないような事を解決する霊力があります。

恐山のイタコ

恐山とは、青森県のむつ市の下北駅よりバスでおよそ30分のところにある、滋賀県の比叡山と和歌山県の高野山とともに日本三大霊山のひとつとして知られています。清和天皇の時代の貞観4年(862年)に慈覚大師円仁が、「東へ向かうこと三十余日、霊山ありその地に仏道をひろめよ」との夢のお告げで辿り着いたのが恐山です。慈覚大師円仁は延暦13年(794年)の豪族の元に生まれ、9歳から大慈寺の住職である広智について修行を積み15歳から比叡山に登って伝教大師最澄の弟子となりました。そして最後の遣唐僧として唐に渡り、日本の天台宗を大成させた人物です。その慈覚大師円仁が開山したと言われている恐山は、死者の御霊を呼び口寄せを行なうイタコがいる霊場として有名です。しかし今ではイタコが恐山にいるのは、恐山大祭と恐山秋詣りの時だけです。そのため現在むつ下北地方にはイタコはいなく、恐山大祭と恐山秋詣りの時に恐山へ集まるイタコも青森県の津軽地方や南部地方などからやって来ます。

恐山イタコの口寄せ

今では恐山イタコの口寄せも恐山大祭と恐山秋詣りの時だけになりましたが、毎年7月20日~24日に行われる恐山大祭にはたくさんのイタコが各地から集まって来ます。現在もイタコは青森県の各地にいますがその数は年々減り続け、今では十数名しか存在しません。この期間は慈覚大師円仁が作ったと言われる曹洞宗円通寺で大施餓鬼法要が行われ、7月22日には上山式が開かれ22日から24日までは大般若祈祷が行われます。この期間中は死後の霊魂がここに常住すると信じる、多くの人々が全国各地から集まってきます。また毎年10月の体育の日を最終日とする、土曜日・日曜日・月曜日の3日間に開かれる恐山の秋祭りは、恐山秋詣りと呼ばれ大施餓鬼法要と大般若祈祷が行われます。この時期も恐山大祭と同じように、イタコの口寄せが行われます。仏降ろしと呼ばれる恐山でのイタコの口寄せも恐山大祭と恐山秋詣りの時だけですが、今は亡き懐かしい肉親の声などに涙する多くの人々の光景が見られます。